フラメンコに魅了され、田中美穂氏のもとでフラメンコ舞踊を始め、後に小島章司氏に師事する。
1981年、OL生活に終止符を打ちスペインへフラメンコ修業の旅に出る。セビリアに滞在し、本場の空気を吸収しながらレッスンに励む。
1983年セビリア市主催セビジャーナス舞踊コンクールにてエンリケ・エル・コッホ賞(第2位))を受賞し、1位該当者がいなかったことから事実上の優勝者となり、スペイン国中に大きなインパクトを与える。
1984年、グラナダのスター舞踊手マリキージャのアカデミーにセビジャーナスの教師として招かれる。
以来グラナダに在住し、タブラオ出演、地方巡演、フェスティバル出演など数多くの舞踊活動、クラス活動などを続けている。
1991年に初めてペーニャ『ラ・プラテリア』に出演し、好評を博す。
1993年、1996年にカハ・ルラルホールにてリイサイタル「EIKO」を開催する。
1989年、「ポル・ドンデ・サレ・エル・ソル」、1992年フォアン・アンドレス・マジャ作品「コントラステ」の舞踊手としてセビリアのフェスティバル『ビエナール・デ・アルテ・フラメンコ』に出演する。
1996年、マドリッドの『カサ・パタス』に出演。また、ペーニャ『ラ・プラテリア』出演し、オメナへ(敬意と友情を表する催しと記念品)を受ける。
1997年より、日本でのクルシージョ活動を開始し、2003年には、日本での常設クラス「クルソフラメンコ」を設ける。日本での教授活動とコンサート活動も積極的にする傍ら、スペインでの活動も精力的に続ける。
1999年、グラナダにスタジオ『ラ・カチューチャ』を設ける。
2003年には7年振りにペーニャ『ラ・プラテリア』に出演。
2002年、2008年には、グラナダの市営劇場『ラ・チュンベーラ』での公演を果たす。
2011年5月、グラナダ市営劇場にて「英子と日本のさくらんぼ達」と題した生徒発表会&公演を催し、長年の夢であったスペインでの生徒発表会を小規模ながら実現する。
2013年7月、グラナダのコラール・デル・カルボンでの催物「ロス・ベラーノス・デル・コラール」に出演する。

日本では、1994年に帰国リサイタル「ペヌルティモコンサート・洞窟の少女」を開催し、日本のフラメンコ界に大きなインパクトを与える。また、1998年にはライブ「きもったま鍋」を開催し、その独特なグラシアで評価を得る。
2001年、スペイン在住20周年記念公演ペヌルティモコンサート「あの洞窟の少女はどこへ?」を開催する。
教室活動では、第二の故郷であるグラナダの唄や 踊りを伝えていくことが自分に与えられた使命と、グラナダ色に満ちた内容の教室づくりに意欲を燃やす。2002年、日本での常設クラス『クルソフラメンコ』を開設し、2003年「発足プレゼンテ―ション&発表会」を催す。以来、発表会「ボ・ボ・ボラエラ」受講生ライブ「ピティミニ・ミニ」を定期的に開催する。
2008年、レッスンドキュメントDVD「自宅でクルシージョ」がパセオより発売される。
同年、「きもったま鍋・フラメンコを友に30年」開催。また、グラナダのアーチストを招きペヌルティモコンサート「グラナイーナ・イ・メディア」を開催し、スペインへの旅立ち、グラナダへの想い、日本とスペインを往復し続ける中での闘いなどを演じ好評を得る。
2012年、ライブ「きもったま鍋6」を新たな第一歩として開催する。
2013年には「きもったま鍋7・あっという間に60年」を開催する。
活動記録参照

(言葉の説明)  
タブラオ/フラメンコを見せる舞台付き小劇場 ペーニャ/地元のフラメンコ愛好者の組織 グラシア/独特の気品、優美さ、面白おかしさ。ペヌルティモ/最後から2番目という意味

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